-
ホテル カクタス2010-02-26
ついつい 手が伸びてしまう本というのがある
自分が絵を描くせいか 自分好みの装丁だったりすると
作家や本の中身がどうであれ 買って本棚に並べてみたくなる
『 雪だるまの雪子ちゃん 』
久々の江国香織さんの童話
タイトルもさることながら 山本容子さんの装丁と挿画が抜群にいい
きっといつものように瑞々しいに違いない 江国さんの文を頭に浮かべながら
どんな本なのかろくに確かめもせず
なのに
間違いないという確固たる自信とともにレジへ
実はまだ読んでいない ( 笑 )
あっという間に読めてしまうにもかかわらず
本があまりにも可憐で 読む前からふわふわとした気分になってしまって
なかなか前へ進めない
5分ほど眺めただけで なんだか満足してしまうのだ
...で どういうわけか
江国さんの本の中でも特に好きな 『 ホテル カクタス 』 を
代わりに読んでしまうという わけのわからない行動をとってしまった
私の読書歴の中で 自分のバイブルにしている本が ほんの数冊ある
私にとってのバイブルは 自分の必要とするものが
そこに わかり易く 表現されていて
なんとなく息詰まったときに 疲労困憊した脳でも
あ~ そうか... と 理解できるものでないといけない
そして
簡単なのに 実は深い深い本質に触れていて
何度も何度も 読みたくなるもの
何人の人に貸し出したことか
でも あまりみんな 何も感じないみたいだ
だから
やっぱり人によって 必要なものはそれぞれに違うのだな と
そのたびに感じた
あたりまえだ
自分にとって面白かったからといって 人にもそれを求める方が
そもそも どうかしている
歳を重ねるに連れて そういうことがとても明確に解ってくるので
もうこの本も 随分と長い間 私の手元を離れていない
帽子と きゅうりと 数字の2 が主人公
とても穏やかに流れる文章 その文章が紡ぎだす彼らの日常も
穏やかにせつない
とにかく 不思議で とびきり素敵な本だ
この本もまた 佐々木敦子さんの 装丁と挿画が素晴らしい
見ているだけで 心がすーーっと落ち着いてきて
不思議ワールドに引き込まれる準備が整ってくる
是非 文庫本ではなく ハードカバーを手にとってみて欲しい
20th Anniversary に思うこと2010-02-17
結婚記念日の祝いにと 夫が贈ってくれたのは夫にしては珍しく 白と深紅の薔薇の花束だった
夫は今まで一度として 深紅の薔薇以外の花束を
プレゼントしてくれたことがない
深紅の薔薇は 彼のポリシーだ
" あれっ? なんでまた今回は 白?? "
花束を見るなり 素っ頓狂な声を出してしまった
" 二十周年やから 祝いの紅白 "
なるほど~~~! と妙に納得してしまった私
確かに 白い薔薇 と 紅い薔薇 が 十本ずつある
早いもので 結婚してもう二十年
付き合いだしてから を計算すれば もう三十年も一緒にいる
彼との生活は あまりにも穏やかでなんの波風も立たず
ふわり さらり と過ぎてきて
二十年もの間 そうやって暮らしてこれたことが
逆に不思議だったりもする
" 二十年目やし GRACIANI でも行こか~ " と 夫
そう言えば 十周年目の時も たまたま日本に住んでいた時で
GRACIANI に行ったっけ
そしてまた今 こうやって神戸に戻ってきている
十年ごとに 必ずここを訪れることが出来るよう 人生が設計されているらしい
GRACIANI は ウェディングパーティーを開いた時とは
若干 模様替えをしていたけれど
店を包み込む 品のいい穏やかな空気は 当時のままだ
ここに来ると あの日あの時の自分が 眼に浮かんでくる
友達一人一人が座っていた場所すらも はっきりと覚えている
夫と私の共通の親友が そこの階段で めでたいと言って
男ながらに号泣して いつまでも泣き止まなかったのも 昨日のことのように鮮明だ
震災時も何とか持ちこたえ GRACIANI は当時のまま
優しい表情をした建物だ
二十年前 なにげなく夫と北野を歩いていて
私はこの建物の前でふいに立ち止まって
" ここにする ウエディングパーティーはここに決めた " と 断言した
直感に支配された時の私は 驚くほど頑固で
誰になんと言われようと 行動を変えることはない
やっぱり ここにしてよかったと 今になってもやっぱりそう思う
こうやって何十年たっても 夫婦二人で思い出を語れる場所として
ちゃんと存在してくれているのだから
十年後のその時も
やっぱり私はここで しっとりと思い出に浸りたい
ばかものよ2010-01-25ここにこうやって文章を書き込むのは ずいぶんと久しぶりな気がする
書きたいと思うのに 書けなかった
いやちがうな... 書きたくなかった のだ きっと...
私は怒っていた
怒るといっても 激しくイライラするとか 癇癪をおこしてわめき散らすとか
そんな怒りだったら ずいぶんと楽だったろうと思う
でも 明らかにそんな類のものではなく
あくまでも静かで どちらかというとそれは 無関心 という言葉に近づいていく種類のものだった
こんな歳になって 今更自分の中のこんな感情に出会うなんて
人生 いつどんな感情が自分の中に湧いてくるかなんて 全く予想すらできない
人が好きだと思っていたし
感情のコントロールが上手いので 嫌なことはすぐに忘れてしまえる
苦手な人とも 苦手だから付き合わなくてすむ方法を選択するより
何とか上手く付き合う方法を考える方が 自分にとってずいぶんと気楽なのだと知っている
だからずっと 物心付いた時から そうやって生きてきた
見てみないふりをするより しっかりと眼を見開いて
受け入れるのだ 何もかも
でも ここ 一~二年
邪魔くさい と感じることがだんだんと増えてきた
少しづつ 少しづつ 薄くその感情は重ねられてゆく
許すことも 許されることも 受け入れることも 見逃すことも 何もかもが... だ
人がどんな風に自分とのかかわりを求めようとしているのか
考えることさえ おっくうになる
わたしらしくないな~ と そう感じつつも
...で ここ数ヶ月 その類の怒りは MAX になり
想像もしていなかったような邪悪なエネルギーに翻弄された私の心は
ぽっかりと宙をさまよってしまった
邪悪なエネルギーとは言っても それは私にとって邪悪 というだけのことで
発しているその人たちからすれば それは極めて健全なエネルギーなのかもしれないが
無関心を装わなければ
私の大事なものが そぎ落とされてしまうような気がした
宙を漂っていなければ 混ざってしまうような気がした
不必要なものは 知らず知らずのうちに淘汰され
必要なものは 自ずと向こうからやってくる
私はいつもそうやって助けられてきた
夫が本屋に行こうという
そう言えば 本屋には ここしばらく行っていない
自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ
通りすがりに眼に飛び込んできた
平積みにされていた訳でもなんでもない 薄い背表紙のその詩集
がつん と拳骨を入れられた気になった
詩集を手に取ったのは何年ぶりだろう
ろくに中身も確かめず すぐにレジでお金を払った
読まないといけない本なのだと なぜかそう思ったから
『 自分の感受性ぐらい 』
茨木のり子 著
ばさばさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
心地よい 喝 が すとんと体を通り抜けていった
初々しさを自ら捨て去る必要など どこにあったのだろう
私にとって一番大切なものではないか
人に無関心を装うなんて 堕落の始まり
真正面から傷つく勇気を持った 頼りない私の感受性
鍛える必要など どこにもない
" ねぇねぇ これ読んでみて "
なぜか軽くなった私は 詩集を開いて 夫の目の前に差し出した
" じゃまくさ "
ろくに見ようともせず 夫の口から放たれた一言
笑ってしまった
この人ほど いつも変わらず健全な心を持った人がいるだろうか
いつどんな時も 言葉に無駄が無いな と深く感心する
確かにこの人にとって こんな詩集 面白くもなんともないに決まっているではないか
いざという時の為に ジャンボジェット機の操縦法を詳しく解説した本を わざわざ読むような人である
なんの前触れも無く私の手元にやってきた詩集
ガツンと降ってきた言葉
いつもと変わらぬ無駄のない夫のせりふ
今すぐにでも 元の自分に戻れそうな気がする
柔らかな心2009-11-24Time flies !!
まさにそのとおりだ
ここのところ 日が経つのがやたらと早い
(... といつも言っている気がしないでもないが ...)
ひょっとしたら 私の時計だけが神様にいたづらされて
早捲きしているのでは
なんて 馬鹿げたことも チラリ と脳裏をかすめる
こんな時だからこそ 母の話をしよう
" 見て 見て " 彼女といると しょっちゅう そう呼びかけられる
なんだろうと思って見てみると 何のことはない
道端に咲いている小さな花を見つけて
" なんて可愛らしい " と ため息混じりにつぶやいている
確かに可愛いのだけれど
見つけるほうが難しいほどのこの小さな花に どうやって気づいたのか
その方がむしろ気になる
" 確かに可愛いけど ... で ... ? "
と こんなことに 普通に気づいてしまう母に対して
どんな風に対応していいかわからないでいる私は
少しぶっきらぼうに 気のないそぶりをして
私にとってはそんなことどうでもいいのよ みたいな
子供のような態度で応じてしまう
本当は とても可愛いと思っていたとしても ... だ
これが 母が言ったのではなかったとしたら
" ほんとですね~ 可愛い " と言って
その場の一瞬の空気を一緒に楽しんで サラリと先に進めるのに
母が相手だと その場に立ち止まってしまって
身動きできなくなる
胸がきゅーんと苦しくなるような感じ
何故なんだろう ?
母は しょっちゅうこうやって 私の動きを封じ込めるのだ
" 見て 見て " の この一言で
花が好きだと言う人は 私の周りに五万といるけれど
( 私もきっとその中の一人だ )
しゃがみこんで なにやら花と話し込んでいる彼女を見ていると
花の方がむしろ彼女と話したがっているようで
ちょっと くらり とする
そう言えば 私の愛犬も 彼女のことを異常に愛している ... よなぁ
彼女も 本当にいろいろと大変なことが多いというのに
いつまでも いつまでも 柔らかい心を持ち続けている人だなぁ と
自分の母ながら たまに感心する
世の中に存在する全ての物に対して 謙虚だ と思う
たぶん 本人はそんなことにさえ全く気づいていないと思うけど
( 父に対してだけは 少々傲慢だが これは許そう 何しろ父はその百倍ほども傲慢だから )
普段の生活の中でさえ 彼女の発見には眼を見張るものがあるのに
旅になど出たりしたら 大変だ
なんでもかんでも 見つけてしまう
心が豊かになるような形容詞で 全てのものは形容され
子供の頃から 私はこれに度々出くわし
時には うんざりとしたものだ
体の調子が芳しくなくて ここのところ とんと旅行には出かけていない彼女だが
家の庭ですら なにかしら見つけては感動しているのだから
彼女の心はいつも旅に出ているようなものなのだろう
いつまでも心だけは 正しく旅をしている旅人ように
柔軟でいてほしいものだ
彼女の中の時計は いったい今 どのぐらいの速さで回っているのだろう?
と ふと思った
-


















