たかたむらブログ | ライトクルー【Lightcrew】
友人2010-09-28

『 友人 』   茨木のり子

 

友人に

多くを期待しなかったら

裏切られた! と叫ぶこともない

なくてもともと

一人か二人いたらば秀

十人もいたらたっぷりすぎるくらいである

たまに会って うっふっふと笑いあえたら

それで法外の喜び

遠く住み 会ったこともないのに

ちかちかと瞬きあう心の通い路なども在ったりする

ひんぴんと会って

くだらなさを曝け出せるのも悪くない

縛られるのは厭だが

縛るのは尚 厭だ

去らば 去れ

 

< 中略 >

 

昔の友も遠く去れば知らぬ昔と異ならず

四月すかんぽの花 人ちりぢりの眺め

とは

誰のうたであったか

 

 

“ 遊びませんか? ”

こんなメールが友から届いた

彼女とはもうかれこれ 25年の付き合い

ずいぶんと会ってないのに 

元気? とか

まだまだ暑いね~ とか

ようやく涼しくなってきたね~ とか

そんな言葉の一切なく

 “ 遊びませんか? ”  の無駄のない一言の

なんと すっきりと嬉しいこと

 

ここのところ すっかり出不精の私ですら

こんな誘いになら ふらふらのってみようか と思うのだ

 

 

 

 

やはり   もうしばらくは とりあえず2010-09-22

日々書きたいことは山ほどもあり

いざ書こうとすると そんなことを書いてどうする と

自問自答が始まる

 

そうやって書く事から逃げていると

一ヶ月や二ヶ月なんて あっという間に過ぎてしまっている

 

何かについて深く考えるということは

その考えていることが解決しないと なかなか前には進めないという感じでもある

だから

あまり何も考えず ただ淡々と生きていたい

 

なので

文章を書くという行為は 自分としっかり向き合ってしまうので

少し 困る

 

京都の一乗寺に 恵文社という本屋さんがある

独自の視点で仕入れた本が数多く並ぶことで有名な本屋だ

 

毎週末の夫の口癖

“ 週末何する?” “ 週末どこ行く?”

出不精の私の心の中の答えはいつも “ 家でじっと ” だ

彼の中に   家でじっと   なんていう答えは たとえ土砂降りの雨の日でも ない

どこかに出かけるのだ 必ず 

たとえそれが近所の行き慣れたスーパーであっても だ

 

何かしら 新しい発見をしたがる人だ 

たとえばそれが “ この道 昨日は工事していなかったのに 今日は工事してるね ”

みたいなことでもいいみたいだ

 

だから 一乗寺にある本屋に行きたいと言った時も 

“ 本屋なんか すぐそこにあるやん ” とも言わず

るんるんと 地図で場所を調べている

 

うわさ通り 面白い本屋だった

 

私はこんなに 詩 が好きだったかしら?

茨木のり子さんが特集されているテーブルで

私は片っ端から 彼女の詩集を買った

 

この人の詩は 今の私に響く

 

 

『 マザー・テレサの瞳 』  茨木のり子

 

<前半略>

外科手術の必要なものに

ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人は

知らないのだ

瀕死の病人を ひたすら撫でさするだけの

慰藉の意味を

死に行く人のかたわらにただ寄り添って

手を握りつづけることの意味を

 

―――― 言葉が多すぎます

と言って 1997年 

その人は去った

 

 

私の 父も 母も

ただそうやって四六時中 私にそばに居てもらいたいだけなのだろうな

きっと...

 

でも それを実行することは とても単純なことのようで

ひたすら難しい

 

やはり    

もうしばらくは とりあえず 淡々と生きていよう

 

 

実り Vol. 22010-07-29

IMG_1923.jpgこの写真 たしか 去年の4月頃 UPした

 

腐っているので 切り倒してしまおうと思っていた木

そしたら 桜の季節に愛らしいピンクの花をつけ

気が付いたら 実っていた

 

何の木なんだろう... ってずっと気になっていた

 

去年の夏は 一生懸命水遣りして

冬前に 根元に肥料を置いて

来年も咲くかしら と ぼんやりと思った

 

今年 去年よりもずっと青々とした葉を付け

実もひとまわり大きくなった

 

庭に出ていたら 隣の住人がひょっこり顔を出したので

なんの実かさっぱりわからないけど 今年は去年より立派に実った話をしたら

" それ 白桃 "  と教えてくれた   

震災のあった年に一杯実を付けて 崩壊した家の建て直し中に

人々の喉を潤したらしい

" 美味しかったのよ "   隣の住人は 懐かしそうにそう言った

 

たった二つだけ実った 桃

とても白桃だとは思えないくらい まだまだ小さい

去年は小さいまま落ちてしまったが 今年はもっと大きくなるんだろうか

大きく育ったら 隣の住人にあげよう 

 

そんなことを思いながら 日々少しづつ大きくなる実を眺めていた

 

ある日の朝

実がぱっくりと割れていた

慌てて外へ飛び出し見てみると

裏側は すっかり鳥と虫にやられていた

やっぱり彼らは人間より一枚上手だ

ここぞという時期を逃さない知恵を蓄えている

 

あっぱれ あっぱれ

 

隣の住人には あと一年待ってもらおう

 

 

 

 

やめない成長2010-07-07

年老いて 身の自由が利かなくなった時

私はいったい 何を思うのだろう

 

老後の心配など 今からする必要などないだろうが

老後に向けての準備というのは 

実はもっと若い頃から みんな知らず知らずのうちに

その入り口に 足を踏み入れている気がする

ただ その時その時の選択が あとあとどう繋がっていくのかに

早くから気付くか 気付かないか だけなんじゃないだろうか

...と 最近思うようになった

 

親は言う

" こんな風になるなんて 考えたこともなかった "

" 自分だけは 死ぬまで元気だと思っていた "

 

自分の親ながら なんておめでたい人達なんだろう

 

自分の暮らしている環境

自分を取り巻いている環境

そんなこと 少し考えればどんな準備が必要かぐらい

わかりそうなものなのに

...と まだ彼らから見たら随分と若くて元気な私が

わかったような口を利くのは ただの傲慢か... 

 

ただただ どんどんとすごいスピードで年老いていく自分に対応できず

おろおろ としている彼ら

 

体は変化していっているのに

心はなかなか変化しなくて 少しの環境の変化さえも受け入れない

頑なな心は 順応できないのだ  なにもかもに

 

この人達は いったいどこでどうやって 

これからの自分の人生に折り合いをつけていくのだろう

実はもう とっくの昔に 折り合いをつけたから 今こうなのか?

 

抗って生きることは 苦しくはないのだろうか

それとも 抗っているから なんとか生きているのだろうか

今の私には 知る由もない

 

私は 父や母の歳になった時 

自分をどのように受け止める老人に 成長しているのだろうか

 

大人は 大人になったからといって 

成長をやめてはいけないな と思う

『 楽しい老後のために 』 そんな綺麗ごとは どうでもいいけど

達観した老人になるための成長をしていく時期が

すでに始まっている気がする

 

だからと言って 何をしたらいいのかなんてさっぱりわからないし

人によって やることは全く違うのだろうけど

せめて 執着はいつの日も捨てて 変化を好む自分でいよう と思う

 

それはそうと

彦星と織姫は 今年はなんとか会えそうだ

前に会えたのは 2004年 だったらしい

二人が HAPPY な夜を過ごせますように... なんて

七夕の日は 少々乙女チックだ